2. β 溶血性レンサ球菌感染症例の疫学
β 溶血性レンサ球菌感染症は増加傾向にあるのですか?
2006年以前の正確なデータはないのですが,増加傾向にあると思われます。
図-4には,某大学附属病院・検査部における3菌種の経年的な分離状況を示します(許可を受け収載)。この集計は無菌検査材料由来株のみではありませんが,1999年前後から特にGASとSDSEが増加しています。
ちょうどこの時期,関東圏においてSDSEによる重篤な侵襲性感染症例が次々と報告され,第17回日本臨床微生物学会(2006年1月)において緊急セミナーが開催されています。
本研究事業は,そのことがきっかけとなって,研究班が組織された経緯があります。
2000年以降,なぜ溶血性レンサ球菌感染症が増加してきたのでしょうか?
いくつか理由が考えられますが,先ず宿主(感染症の分野ではヒトのことを宿主という)側の変化があげられます。図-5 に 20 年前と最近発表された 2010 年の「わが国の人口動態」を示しますが,65歳以上の割合が12.1%から23.2%へと倍増し,「急速な高齢化社会の到来」を改めて実感します。それだけではなく,感染症に罹患しやすい(易感染性)基礎疾患を持たれた方々の増加があります。
第二には,抗菌薬登場後の 20 年間ほど,肺炎球菌や溶血性レンサ球菌に対し優れた抗菌力を有するペニシリン系薬が多く使われていましたが,医療レベルの向上や宿主側の変化に伴いグラム陰性桿菌(特に緑膿菌)感染症が問題化すると,それらに効果が期待されるセフェム系薬やニューキノロン系薬が開発され好まれるようになりました。また,抗炎症作用も期待されるマクロライド系薬も非常に多く使われるようになりました。このような使用抗菌薬の変遷は,世界的な傾向でもあるのですが,レンサ球菌に対して依然として抗菌力が優れているのはペニシリン系薬なのです(感受性の項参照)。
発症年齢と菌種との間に特徴はあるのでしょうか?
図-6 には,2010 年度に解析された GAS,GBS,あるいは SDSE による侵襲性感染症例の年齢分布を示します。症例数が最も多かったのは SDSE(n = 271),次いで GBS(n = 232),GAS(n = 131) の順でした。
このような重症感染症例の多くは,4ヶ月未満の新生児に発症する GBS 重症感染症を除くと,50歳代以上の壮年期から症例数が増加しているのが特徴です。しかし,菌種別の発症年齢の分布をみますと,微妙な違いがあります。
GAS の平均年齢は57歳,若年層から 80歳代と年齢は幅広く分布しています。60歳代以上が占める割合は54%です。これに対し,SDSE の性状は GAS と似通っている(菌の病原性の項参照)にも関わらず,50歳代から発症例が急速に増加し,平均年齢は 74歳,60歳代以上が 83%と圧倒的多数を占めています。もうひとつの GBS による発症も,新生児を除いて集計しますと成人の平均年齢は 70歳,60歳以上は 78%に達しています。
菌種による発症年齢の違いには統計学的有意差がありますが,これは後述する発症例の基礎疾患保有状況とも密接に関連しています。
成人例では発症直後にどのような臨床科を受診していますか?
その答えは 図-7 に示します。小児例は除いて集計してあります。
侵襲性 β 溶血性レンサ球菌感染症の特徴は,病態が急速に進行することにありますが,いずれの菌でも時間外の救急診療・受診例が非常に多くなっています。後述する同じような疾患が多い GAS と SDSE 感染症例は,整形外科や耳鼻咽喉科,皮膚科も多いといった特徴がみられます。新生児 GBS 感染症を除いた成人の GBS 例では,内科系診療科受診例が多くなっています。
それぞれの菌種による感染症ではどのような疾患が多いのでしょうか?
菌種別の感染症(疾患)の違いは 図-8 に示します。それぞれの菌種において敗血症例の割合が高いのですが,その他の疾患は原因菌によって違いが見られます。
GAS は,別名化膿レンサ球菌ともいわれるように,壊死性筋膜炎,蜂窩織炎,化膿性関節炎,そして局所的な化膿性疾患が多くみられています。その他に,「劇症型レンサ球菌感染症 (Streptococcal Toxic Shock Syndrome: STSS) 」8例が含まれています。
SDSE による感染症もGASと同様の傾向が認められますが,GAS よりも蜂窩織炎例が多く,化膿性関節炎例では人工関節の挿入例の多いことが注目されました。STSS 例は認められませんでした。SDSE は GAS と同類の感染症を惹起させることが特徴ですが,病原性とゲノム解析の項で述べるように,2つの菌種は遺伝学的に非常に似通った菌種であることが近年明らかになってきています(ゲノムの項参照)。
一方,成人の GBS 感染症では敗血症が56%を占めていました。しかし,劇症例はありませんでした。
劇症型溶血性レンサ球菌感染症の診断基準と届出は?
これら3菌種のいずれかのレンサ球菌が原因で,表-1に示す TSLS (Streptococcal toxic shock-like syndrome)の診断基準(CDC が1993年に策定)を満たす症例は,わが国では全数把握対象の5類感染症に指定されています。表では A 群レンサ球菌と記載されていますが,現在届け出の必要なレンサ球菌は GAS に限らず,B,C,G 群とその他のレンサ球菌すべて含まれます。診断後,速やかに各自治体の保健所への届け出が必要となります。届出用紙は
(http://www-bm.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/pdf/01-05-06.pdf)から得られます。
菌の侵入門戸はどこなのでしょうか?
菌種によって異なると思われます。
GAS は,咽頭あるいは扁桃等における1~7日間の上気道感染症状の後,あるいは創傷部の感染を起こした後に,侵襲性感染症を惹起すると思われます。SDSE は,通常常在細菌として分離されるのは咽頭や喀痰が多く,恐らく GAS と同じ経路による感染が多いと思われますが,SDSE の侵入門戸に関してはよく判っていません。このことについては感染予防の上からも明らかにしていく必要があります。
GBS は成人の腸管に保菌されていることが多く,そのために尿路系あるいは腸管系からの敗血症が多いと推定されています。
それぞれの菌種によってヒト生体部位(厳密には細胞)への付着親和性が異なることが,疾患の違いに反映されていると思われます。
新生児 GBS 感染症はどのような経路で発症するのですか?
生直後の新生児 GBS 感染症は,出産時の産道感染によって起こります。図-9 に示すように,妊婦の10-20%は腸管や膣内にGBSを保菌しています。この菌を児が吸引あるいは身体に付着させた状態で生まれますと,時に発症することがあるのです。生後1週間までの発症を早発型 (early onset),それ以降3ヶ月までを遅発型 (late onset)といいます。
GBS 感染症は後遺症を残しやすいため,産科や新生児科・小児科では最も注意すべき感染症です。このためわが国においても,妊娠後期の35 - 37週の全妊婦に対して GBS 検査(膣ぬぐい液の培養検査)が実施されるようになっています。
培養と DNA 迅速検査 (PCR) を併用しますと,おおよそ15%の妊婦が GBS を保菌していることが明らかになっています。産科では GBS を保菌していることが事前に判明しますと,出産時に児が感染症を起こさないよう抗菌薬の投与が行なわれます。このような予防検査によって,同図に示すように早発型感染は減少し,現在では発症例の80%が遅発型となっています。
退院後に生ずる遅発型の菌の侵入門戸としては,i) 児が出産時にわずかに GBS を吸引し,徐々に増加して何らかのきっかけで発症,ii) 母親の膣や腸管内に棲息する GBS が手指を介して新生児に伝播(水平伝播),iii) 新生児の臍,会陰部に付着した GBS が何らかの原因で侵入して発症,iv) 児に接触するヒトからの GBS の伝播などが推定されます。
なお,病原性の項で述べますが,新生児の GBS 感染は特定の莢膜型で起こります。
発症年齢に違いがありますが,基礎疾患保有率に違いはあるのでしょうか?
基礎疾患の内訳は 図-10 に示します。成人例におけるGAS 発症例の53%,SDSE では71%,GBS では実に82%が基礎疾患を有していました。
菌種によってやや違いがみられ,GAS では基礎疾患を有していなくても発症しているのに対し,高齢者の多かった SDSE や GBSではさまざまな基礎疾患保持例が多く,特に GBS では糖尿病,悪性腫瘍,肝疾患系の基礎疾患保持例が他の菌種に比して有意に多いという成績です。
いずれにしても,図に示すような基礎疾患と自己免疫疾患等を有する場合には,感染リスクが高まるということになります。
菌種が異なると予後に違いはあるのでしょうか?
図-11 には,3菌種における発症後の予後に関する成績を示します。この質問項目に回答いただけなかった例は除外してあります。
「死亡例」と「明らかな後遺症を残した例」を「予後不良例」として集計しますと,GAS では22.1%,SDSE では17.3%,そして GBS では12.9%でした。GAS と GBS の間には有意差があるようにもみえるのですが,これら3菌種間の予後には統計学的有意差は認められていません。
しかし,もう少し詳しく死亡例における入院期間(在院日数)を調べてみますと, GAS による死亡例は平均(中央値)1日,SDSE では3日,GBS 例では7日の入院となっています。また,救急受診例には予後不良例が著しく多いことも留意しておく必要があると思います。
注意事項として,血液検査値から細菌感染症が疑われる時間外受診の重症例には,必ず抗菌薬投与前に血液培養を実施していただくことが肝要です。注射用抗菌薬を使用してしまいますと,原因菌はほとんど検出できなくなります。また,菌の侵入門戸を推定する上で,上咽頭ぬぐい液や尿などの検体も念のために採取しておくことが賢明です。そして,グラム染色が可能な検査材料(髄液,胸水,組織,関節液など)には,速やかに実施することが治療抗菌薬を決定する上で重要であることを強調しておきます。
「重症型レンサ球菌感染症であろう」と推定された時点で,使用抗菌薬はペニシリン系薬の大量療法,あるいはカルバペネム系薬(薬剤感受性の項参照)が推奨されます。
予後不良例と予後良好例の間で血液検査値に差はあるのでしょうか?
成人発症例の入院直後に調べられた血液検査値と予後との関係を 表-2 に示します。
統計解析を行うため,WBC,CRP,PLT 値を肺炎球菌の項に記したように成人での正常値を基準に分けています。
『GAS例』の WBC では < 5,000/μl に該当する症例中に占める「予後不良例」の割合は39%,オッズ(Odds)比では WBC が ≧5,000/μl であった症例群に較べると,「予後不良の発生率」は4.2倍高いという結果でした。PLT でも < 13×104/μl の症例群における「予後不良例」の割合は61%で,予後良好群に較べ「予後不良の発生率」は7.5倍と高くなっています。
『SDSE例』では,WBC が < 5,000/μl であった症例中に占める「予後不良例」の割合は27%,オッズ(Odds)比では WBC が ≧ 5,000/μl であった症例群に較べると,「予後不良の発生率」は3.6倍高くなっています。PLT も < 13×104/μl と低下している症例群における「予後不良例」の割合は67%で,予後良好群に較べ「予後不良の発生率」は4.5倍と高くなっています。
GAS あるいは SDSE 感染症例では,“初期診断時に WBC が < 5,000/μl,あるいは PLT が < 13×104/μl であると,予後が非常に悪い”ということを念頭において対応する必要があります。
『GBS例』では,WBC あるいは PLT 値とも,「予後不良例」と「予後良好例」の間に差は認められていません。
ちなみに,3菌種とも CRP 値は明らかな陽性で,「予後不良例」と「予後良好例」の間には有意差はありませんでした。